同窓会に行ってきました [幸せに生きる]
今日は、前任校で27年前に教えた子どもたちの同窓会に行ってきました。
二つのことを伝えたいと思いました。
一つは感謝。
もう一つは、人生これからがおもしろい。
もう一つは、人生これからがおもしろい。
感謝
この子たちのことは強烈に覚えています。
養護学校から普通学級に赴任して初めて受け持った子どもたちです。
その当時は、僕が夢中になっていた仮説実験授業や楽しい授業をやり、毎日がお祭りのようでした。
そんな僕を子どもたちは熱烈に歓迎してくれました。
楽しさが大切だよということを体で教えてくれ、未熟で若かった僕を育ててくれました。3年で異動になりました。
この子たちのことは強烈に覚えています。
養護学校から普通学級に赴任して初めて受け持った子どもたちです。
その当時は、僕が夢中になっていた仮説実験授業や楽しい授業をやり、毎日がお祭りのようでした。
そんな僕を子どもたちは熱烈に歓迎してくれました。
楽しさが大切だよということを体で教えてくれ、未熟で若かった僕を育ててくれました。3年で異動になりました。
それから14年後、僕は再びこの学校に赴任し、その後9年間勤めさせていただきました。その間、僕は夢中になっていた合唱をめいっぱいやらせてもらいました。校区の方々や保護者のみなさんにいっぱい応援していただきました。その中には、この子達の保護者や親戚の方もいます。
そして今年のNコン全国出場の際には、大変な応援と支援をしていただきました。
そんな感謝の気持ちをつたえたいと思いました。
そして今年のNコン全国出場の際には、大変な応援と支援をしていただきました。
そんな感謝の気持ちをつたえたいと思いました。
一人ひとりに僕の名刺を渡し、お家の人に「ありがとう」と伝えてねと回りました。
3年プラス9年。合計12年。前任校は、僕を育ててくれました。本当にただただ感謝しかありません。
3年プラス9年。合計12年。前任校は、僕を育ててくれました。本当にただただ感謝しかありません。
人生これからがおもしろい
呼んでくれた子どもたちは、37才です。
37才の頃の僕は、すでに人生がわかってしまったような錯覚を持っていました。
40代、50代になると人生はおわりに向かってしぼんでいくのだろうなあ・・・と、未来に対して暗い展望しか持っていませんでした。
呼んでくれた子どもたちは、37才です。
37才の頃の僕は、すでに人生がわかってしまったような錯覚を持っていました。
40代、50代になると人生はおわりに向かってしぼんでいくのだろうなあ・・・と、未来に対して暗い展望しか持っていませんでした。
しかし違いました。
僕の場合、40才で一度どん底に落ちました。
そして50才を過ぎたあたりから、激烈におもしろくなっていきました。
そして年を追うごとに、日々ドラマのような展開がありました。
だから、最初のあいさつで、人生、これからおもしろくなるよ。とお話しました。
そして50才を過ぎたあたりから、激烈におもしろくなっていきました。
そして年を追うごとに、日々ドラマのような展開がありました。
だから、最初のあいさつで、人生、これからおもしろくなるよ。とお話しました。
僕のわたした名刺には、このブログのアドレスが書かれています。
今も楽しく展開していく僕のドラマを読んでもらえたらなと思って渡しました。
今も楽しく展開していく僕のドラマを読んでもらえたらなと思って渡しました。
年配の僕のような人間がわくわくしながら夢を持って生きている様子を見て、30代後半になった教え子たちにも、これから明るい未来をつくって行ってほしいという願いをもっています。
何人かは読んでいてくれるかな?
今日は呼んでくれてありがとう。
そしてこれから本当に人生は楽しくなっていきますよ。
今日は呼んでくれてありがとう。
そしてこれから本当に人生は楽しくなっていきますよ。
短い時間でしたが、一人ひとりとのお話は楽しい時間でした。
その当時の授業がとっても楽しくて、今も覚えていて、その後も役に立ったことを聞いて、とてもうれしかったです。
そして、これからも僕は、合唱を通して、子どもたちに将来そのような思いを持ってもらえるようがんばります。
おたがいがんばりましょう。
その当時の授業がとっても楽しくて、今も覚えていて、その後も役に立ったことを聞いて、とてもうれしかったです。
そして、これからも僕は、合唱を通して、子どもたちに将来そのような思いを持ってもらえるようがんばります。
おたがいがんばりましょう。
PS.名刺を渡している僕の様子をみて、営業マンをやっている教え子から、「先生営業みたい」と言われました。
そう、僕は、感謝と人生の楽しさを伝える営業マンです。
そう、僕は、感謝と人生の楽しさを伝える営業マンです。
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