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日本アホ会in北陸!その1 笑いヨガと大嶋啓介さんの講演 [幸せに生きる]

 ソアーベのコンサートの翌日、21日の日曜日、日本アホ会in北陸というイベントに行ってきました。あの西田文郎さんが来られたからです。西田文朗さんについては、このブログで何度か書いています。

人生の「目標」と「目的」は違う  ツキの大原則  脳の錯覚 他

人生はツキで決まる。そしてツキは出会いから始まる。

 まさにその通りだと思います。ここ10年、僕は出会いで大きく変化しました。出会いは、大きなツキをもたらしました。北京オリンピックで女子ソフトボールのメンタルトレーニングを施し、金メダルに導いた西田さんを目の前で見たくて、ハードなスケジュールでしたが、行ってきました。

 この会も刺激的でした。12000円という高額なチケットでした。だからこそ、このままにしておくのはもったいない。自分のものにするためにも、とにかく得たことを形にし、発信していきます。

 場所は、ホテル金沢。立派な会場です。たくさんの人が来ていました。なんと僕の知り合いが何人もいました。予期せぬ場所での出会いにびっくり。

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 まずオープニングの前説、「笑いヨガ」のインストラクターさんの登場から始まりました。
 笑いは健康に良い。人間の脳は、作り笑いと本当の笑いを区別できないそうです。そういう理論でインドから始まった笑いヨガが今、流行しつつあるということです。
 実際にやってみました。恥ずかしさもありましたが、僕が普段実践している、笑顔を作ると楽しい気分になる、ということの積極的な方法だと思いました。
 この笑いヨガについて、ユーチューブで紹介がありましたので、興味のある方はご覧下さい。

笑いヨガ(ラフターヨガ)


 その後、授業形式で講座は進んで行きました。
 一限目は、大嶋啓介さんの講演です。
この人は、居酒屋てっぺんの代表取締役で、てっぺん独自の「公開朝礼」がテレビや雑誌等で数を多く取り上げられています。大声を出しての「本気の朝礼」。僕もテレビでチラッと見たことがあります。

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 ビデオ映像と講演を交互に行う形でした。
 特に心に残っているのは、次の言葉です。 

自分が変われば過去の経験も感謝に変わる。

 自分の体験からも、そう思います。その時は地獄のような体験だとしても、今振り返ると、その体験があったから、今の僕があると言えます。その体験のおかげで、出会いを求め、大きく自分を変えることができたからです。そういう意味で、過去の体験には本当に感謝です。

 また、坂本龍馬を例にあげ、こんな話をしました。彼は脱藩して不安定な身分だから、今で言うとフリーターのようなもの。もっと言えば少年院あがりのフリーター。そんな人が今で言うとイラクとアメリカの戦争を血を流さずにやめさせたようなもの。だから、人間って、何でもできる!!
 龍馬ファンの僕は、その通りだな・・・と納得。だから夢は実現できるって気分になりました。

 さらに愛してあげると人は変わる。と言います。

 そして下のような文章が映像と共に流れました。感動しました。もし良ければ、お読み下さい。

【招待状】

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり
皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからかその少年を
毛嫌いするようになった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。
先生はそう思った。

二年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを行き抜いている
生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

 温かいハートが大切なんですね。大嶋啓介さん、とにかく熱い人でした。

 今日はここまで


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