人は思われたようになってしまう [幸せに生きる]
信頼されると、人はその信頼に応えようと、信頼されるような行動をするものです。
逆に不信感を持たれると、その人に対し、真面目にやろうとは思えないものです。
自分自身の体験から言えることです。
今までいろんな管理職がいましたが、信頼されていると感じた時は、ものすごくがんばったものです。逆に、不信感をもたれていると感じる時は、仕事に関して、意欲がでなかったものです。
これは、保護者との関係とも同様です。
「先生、ありがとう」「先生が担任でよかったです。」なんて言われようものなら、仕事以上の情熱でがんばってしまうものです。
逆に、クレームばかりで、やりがいをなくした年もあります。
同じ自分なのに、相手の出方次第で、その行動は違っていました。
これは、子供との関係でも言えることです。「この子は、なんていう問題児だ!」って思うと、本当に問題児になってしまいました。しかし、ある時点で見方をガラッと変えて、「この子は、本当にいい子なんだ」って思うと、本当にいい子になってしまった経験が僕にはあります。
今、交流学級でいろんなクラスに出ていますが、同じ子なのに、先生によって態度がガラッと違う子がいます。それは、先生のその子への思いが、鏡のようにはね返っているように見えます。
教師の子供への思いって、とっても大切なような気がします。人は思われたようになってしまうと思うからです。
どうせなら、「いい子だ」と思っていたい。その方が、お互い幸せにいきていけます。
では、自分のことに戻ります。
この年になって、相手の出方によってコロコロ態度が変わるってのも、変なものです。どうせなら、どんな相手であっても、心揺れずに接していきたいものです。なにかうまい方法はないものでしょうか。
そのポイントは、自尊心だと思います。自分って、たいしたもんだ!自分ってすごい!!っていう気持ちさえあれば、相手がどんな出方をしようと悠然と構えていることができます。でも、なかなかそうはいきません。
そうなるためには、どうしたらよいでしょう。
それは、自分の自尊心を高めるようなことをすればいいのです。
自分ってすごい!自分って大したもんだっていう気持ちになれるようなことを!
具体的に言うと、ほめ言葉を口に出して言う。
いろんなことでほめ言葉を口にだすことで、それが、自分の脳にも伝わります。自分がほめられてるって錯覚を持ちます。すると、自分の自尊心もどんどん高まっていきます。
「ありがとう」って言葉も効果的です。
相手がどんなことを言っても、「ありがとうございます」って口に出して言うことで、クレームもありがたく思えます。(脳が、現実と言葉の関係をうまく処理してくれるそうです)そして、ありがたく思える自分をたいしたもんだと思えます。
要は、相手を信頼し、ほめることがいっぱい見つかるような機会をつくり、ほめ言葉を言うことが、幸せに生きる方法のように思えます。
これが今日の結論。
人生、いろいろあります。たまにこんな風に考え、文章にすることで、幸せに生きる方法を整理できます。
今日の記事は、僕にとって、お部屋の整頓ならぬ心の整頓のようなものです。
誰かのお役にたてば幸いです。