僕にとって「走ること」の意味 [幸せに生きる]
今日、久々に走りました。10日ぶりのラン。こんなに日が開いたのは、僕が走り出して初めてのことです。しつこかった風邪もようやく完治したのです。
本当に久々のラン。雪道の中、約100分のラン。本当に本当に気持ちよかったです。
走れなかった間、僕にとって「走る」ことに大きな意味があることがわかりました。
走ることは、僕の自己肯定感を高めてくれる行為だったということです。
「今日も走りきった。」
その積み重ねが、自分自身を信じる証拠となり、知らない間に積み重なっていたのです。
ですから、走れなかった間は、精神的にもどんどんと落ち込んでいきました。
走ることは、僕の心を前向きにすることに、大きく貢献していたようです。
走ることは、単調なリズムの繰り返しです。その繰り返しの中でいろんなことを考え、そのリズムの中で、時にはランニングハイとなり、前向きな気持ちで日々がスタートしていました。走ることは、僕にとって、とても大切な行為だったことがわかりました。
当たり前だと思っていたものでも、なくなったとき、初めてそのものの大切さがわかります。
走ることがそうでした。
今日走れたことに、大きな幸せを感じます。そして、自分自身と上手く付き合い、明日からも走れる喜びを感じていきたいと思っています。