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由紀さおりさんの生きざまに心が奮えました [幸せに生きる]

 今回の紅白歌合戦では、由紀さおりさんが、米オレゴン州ポートランドから生中継で出場しました。世界的なヒットを記録したアルバム『1969』で共演したバンド、ピンク・マルティーニとともに、自身のデビュー曲でもある「夜明けのスキャット」をしっとりと歌いました。

 ある方と、そんな由紀さおりさんについてのお話になり、僕は、深く心が奮えました。
 というのは、由紀さおりさんは、挫折、復活、挫折、復活を繰り返してきた人だからです。

 由紀さんは「夜明けのスキャット」の大ヒット以来、何度も紅白歌合戦に出ましたが、ある時から、出演依頼が来なくなりました。
 それから、まわりの態度がガラリと変ったといいます。芸能界は浮き沈みの激しい世界。それを身を持って体験したそうです。

 やがて、1986年、由紀さおり、安田祥子姉妹の童謡コンサートがスタートします。そして翌年の1987年、9年ぶりに紅白出場!!奇跡の復活です。それ以降、9年連続で由紀さおりさんは安田祥子さんとともに再び紅白に出演しています。

  しかし、それは単に「運がよかった!」では片付けられない努力があったそうです。というのは、それまで童謡・唱歌のアルバムを出版してくれるレコード会社がなかったと言います。(教育用CDでならいい。という時代だったそうです。)そういう環境から、由紀さおり・安田祥子姉妹は、苦労しながらクラシックコンサート並みの充実したコンサートへと仕上げて行き、日本の歌を再評価させる新しいジャンルを確立していったそうです。由紀さんは、「夜明けのスキャット」の自分を捨て、新たなる創造をしていったのです。

 だがしかし、やがてその波も終わりを告げます。
 
 由紀さんのすごいのは、更に「歌謡曲でもう一度ヒット曲をだそう」という熱い気持ちを持ち続けたことです。
 「新人歌手と同じように何でもするから一緒にやってくれないか」
 そう言って、これは、と思った若いスタッフ集団に由紀さおりさんは頭を下げて協力を仰いだそうです。

 長いときが流れました。でもその積み重ねの結果が新たな出会いを生み、新しい世界を創造していきました。2008年。ピンク・マルティーとのコラボレーションアルバム『1969』が世界的なヒットにつながっていったのです。

 若い時に勢いでどんどん昇って行くというのは、運がよければ可能だと思います。でも、一度下火になり、そこからまた復活するのは、よほどのことだと思います。それを2度もやってのけた由紀さおりさんに、凄みを感じます。

 そこには、自分自身の変革が必要です。現状で満足するのでなく、昔の自分(プライド)を捨て、新たな自分を創造していく必要があります。

 僕自身も、一度死を意識するほどの挫折を味わいました。そして、そこから復活し今に至っています。しかし今、現状に満足しそうになっている自分がいます。

 僕が、新年のキーワードに「挑戦!」という言葉を選んだのは、由紀さんの影響があります。
 いくつになっても、進化・成長していきたい。事実そういう人が現実にいます。それが、由紀さおりさんであったり、ソアーベの坪口純朗先生であったり。
 二人とも、年齢を重ねるごとにクレッシェンドな生き方をされています。
 その生きざまに、心躍る思いがします。変に安住するのではなく、いつまでも心ときめく生き方をしていきたい。そう思います。

 そんな由紀さおりさんとピンク・マルティーとのコラボレーションアルバム『1969』の紹介映像をご覧下さい。

PS.由紀さおりさん、コンサートツアーを続けるかたわら、保育所、幼稚園をこまめに回って歌とお話のボランティアを行っているそうです。テーマは若い母親、女性、子どもたちに「美しい日本語」を伝えること。保育所という小さな空間で、由紀さんの歌声を間近に聞き、お母さん方は涙するそうです。

 お母さん方に大きな勇気を与えることでしょう。子供達は多くのことを感じることでしょう。そして、そのことが新しい何かを後の世に生み出していくことにつながっていくことでしょう。

 すばらしい人生を歩んでおられます。刺激になります。


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