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嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え [本]

 今日は久々に体をよく動かしました。
ロードレーサーで約100分のツーリング。そして筋トレ。
たっぷり贅沢な自分の時間を味わいました。

その間聞いていたオーディオブックがこれです。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え        

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

アドラー心理学のオーディオブックです。
倍速にしても、3時間半はある長編です。でも、う~ん、その通りだとドキッとしたり、目からうろこの部分がたくさんあり、2回目の途中まで聞きました。

 アドラーの教えを青年と哲人の会話で再現する対話篇で、主人公が今まで幸せになることができなかった本当の理由を解き明かします。

 アドラーの思想の大前提となるのは、「全ての悩みの根源は人間関係によるものである」という考え方です。
 人間関係に悩み、他者からの評価や他人との違いを気にしていると、あらゆる場面で「他者との関係で傷つかない方法」を選択するようになります。

 しかし、対人関係から自由になりたいと願っても、この世界では、全ての関係から解放されることは不可能です。
 この社会の中で悩みながら生きる私たちにアドラーが示した答えは、“嫌われる勇気”を持つ、ということでした。

 なんだか行き詰まっているという感覚を持っている方にはいい本だと思います。

 私たちが「変わりたい」と思っても変われないのは、多少の不満があろうとも、結果的には「ここのままの私」でいるほうが傷つかないと思い込んでいるためです。

 「過去は今後のこととは関連性がない」アドラーは語ります。
 過去のことはどうでもいいのです。
 幸せに生きるために、これから新しい人生を始めようと本気で決心したその時から、人生はまさに変わり始めるのです。

とても印象に残っているフレーズがあります。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ますことが出来ない。」
解釈すれば、
「馬に水を飲ますために、水辺に連れていくことは出来る。」
「馬が水を飲むかどうかは、馬自身が決めること。他人の私たちが決めることではない。」という意味になります。

人間で言い換えるなら、
「相手に何かを行動してもらうために、私自身が行動の決定権を握ってはいけない。」
「相手が行動する何かを決定するのは相手自身である。」
「私自身は行動してもらうために支援ができるだけである。」
 こう考えると、相当楽になる部分がたくさんあります。支援はできる限りやります。でも、行動の決定権を相手にゆだねるのです。相手を一人の人間として認めてつきあうのです。

その他にもいい文章がたくさんありました。

「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」

「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。」
 劣等感を否定するのではなく、自分の成長に利用すればよいと説きます。

「たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。」
 これは、コンクールに向けての練習で感じていたことです。「自分」であることを抑えていることは、とても苦しかったです。他者の期待を満たすのではなく、「わたしや子ども達」の中のよい部分を伸ばしていきたいのです。

「人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。」
 そうなんです。「いま、ここ」が大切なんです。

 このオーディオブックには、今の僕に必要なものがたくさん詰まっていました。どこまでこの中の考えを自分のものにできるかわかりませんが、「いま、ここ」から行動していきます。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

  • 作者: 岸見 一郎
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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