SSブログ

大なわ100回達成への道のり4 [鉄人]

回数と気持ちの問題
  大なわの回数と、集団の雰囲気が大きく関係している事にも、やがて気づいていきました。雰囲気が良いと記録もいいのです。逆に雰囲気が暗いと記録も今一つです。
  雰囲気の違いは、何か?
  見ていると、良い時は声がよく出ています。失敗した時に「どんまい」といった声が良く飛んでいます。逆に雰囲気の悪い時は声が出ていない。そして失敗した時の声かけがない。
  気持ちと行動はリンクしています。そしてその結果が大なわの回数に出ます。
  そんなことを子どもたちにも話をし、声を出す事。プラスの言葉を出すようアドバイスしました。
  子供達の記録はやがてまた伸びました。男子で90回台。女子で80回台を出しました。

  ここまで来たら、絶対に子供達を100回突破させてやろうと思っていました。しかし、何度やっても記録は行ったり来たり、100回の壁と言うものは大きいものでした。
   これが、2学期後半のことです。

保護者の皆様より二分の一成人式の感想をたくさんいただきました。とても良い感想ばかりでした。うれしいです。下の文字をクリックしていただけるとうれしいです。

にほんブログ村 教育ブログ


大なわ100回達成への道のり3 [鉄人]

助け合い作戦
  積み重ねにより、少しずつ回数が増えていきました。
  それでも、引っかかる子がでてきました。全体的にスピードアップしていくと、どうしても大なわに入るタイミングがつかめなくなるのです。そこで、考えたのが助け合い作戦。
  苦手な子の後ろに得意な子をつけ、背中を押して入るタイミングを教えてあげるのです。
  この作戦は大成功でした。なわに入りさえすれば、回し手がスピードを調整して跳ばすことができます。特に女子の回数が伸びました。
  助け合うことで回数が伸び、おおなわを通して、みんな助け合いや思いやりの大切さを実感しました。クラスを育てる大なわのすばらしさと奥深さを感じました。
  これが2学期中頃のこと。最高で男子で80回台、女子で70回台の頃です。

下の文字をクリックしていただけるとうれしいです。

にほんブログ村 教育ブログ


大なわ100回達成への道のり2 [鉄人]

4月当初
 最初は、全然跳べませんでした。連続して跳べるなんてとんでもない。一回あけてやっと跳べる、という感じです。それでも引っかかる子は何人もいました。
  男子で30回台、女子で20回台という回数でした。
  休み時間に跳べない子を指導したり、遠足に大なわを持っていって指導したりしました。
  すると跳べない子も少しずつ跳べるようになってきました。連続では跳べませんが、僕が回し、飛ぶ子のタイミングに合わせてなわを回す事で、少しずつ跳べるようになっていきました。そうやって、跳べなかった子供達に少しずつ自信をつけていきました。

初期の頃のアドバイス
  最初は、回す子が決まってなく、時には苦手な子が回し手を担当していました。
  しかし、「回す子がとても重要であること」を話しました。僕が回す事で、跳べない子を飛ばすことができることを見せてあげました。
  回す子がリーダーであること。そしてリーダーは自分のペースで回すのではなく、跳ぶ子に合わせて回す速さを調整しなくてはならないこと。そして全体の様子を見ながら少しずつスピードアップしていくこと。そんなことを話しました。

跳ぶ子たちはどうしたら良いか
  それは、声を出す事。声を出す事で、みんなの身体の中にリズムや流れができ、一つになれる。心も一つになれる。それが大切なことを話しました。
  引っかかった子を責めない。これも大切です。自分が引っかかった時、責められたらどうでしょう。ますます萎縮して跳べなくなってしまいます。では、どうしたら良いか。それは、「どんまい。」と言ってあげる。励ます。
  こう書いてみると、大なわには、学級経営や教育観に通じる奥の深いものがあります。
  技術的な面では、回し手のそばから入り、回し手のそばから出るということ。大なわの真ん中で跳ぶ事を指導しました。

下の文字をクリックしていただけるとうれしいです。

にほんブログ村 教育ブログ


大なわ100回達成への道のり1 [鉄人]

大なわ100回達成への道のり

はじめに
  子供達が大なわ100回を達成しました。4月から体育の時間を使って少しずつ取り組んできました。毎時間5分から10分ぐらいの積み重ねです。少しずつの積み重ね。少しずつの成長。それが今、花開きました。本当にうれしいです。
  今日から、ここまでの歩みを振り返ってみたいと思います。

大なわをはじめるきっかけ
  僕が大なわを始めたのは、昨年度(2005年)、教育の鉄人と言われる東京の杉渕鉄良先生のクラスの大なわを見てからです。
  6年生でした。驚きでした。男子と女子に別れ、ものすごいスピードで、ぐんぐん回す大なわを次々と跳ぶ子供達。連続で跳び越し、誰一人引っかかる子がいません。
  やがて「よういはじめ」の杉渕先生の合図とともに1分間で跳ぶ回数を数える子供達。体育館にものすごい熱気があふれます。見たこともないすごい世界。感動しました。涙が出そうになりました。
  自分もやってみたい。このすごい世界に子供達を連れて行ってあげたい。そんな思いから、僕と子供達の歩みはスタートしました。

下の文字をクリックしていただけるとうれしいです。

にほんブログ村 教育ブログ


学級崩壊から今までの歩み(あなたのお役に立てばうれしいです) [鉄人]

長文です。あなたのお役にたてば、うれしいです。

学級崩壊から今までの歩み

はじめに
 鉄人倶楽部の合宿で、クラスの子供達のビデオを見ていただいたところ、森實先生やその他の方より、「自分のことを書いてみないか?」というお誘いがありました。本当にありがたいお誘いありがとうございます。自分としては、思っていることをビデオを交え、早口でお話しただけです。「もっといろいろと伝えたいことがあったのに」と、あとで考えるような舌足らずの発表でしたのに、このようなうれしい反応をいただき、本当にうれしく思いました。
 「自分の歩んで来た体験が誰かのお役に立てば」という思いで、自分のことを書いてみたいと思います。

自己紹介
  教師歴21年。年齢は46歳です。自分で言うのもなんですが、結構勉強熱心な方だったと思います。
  新採2年目の頃に、ひと塾(若い方はご存知でしょうか?)で仮説実験授業を知り、会員にもなりました。そして仮説実験授業を中心にいろんな実践を勉強してきました。キミ子方式で絵の描き方を。算数は水道方式を。法則化も少しかじりました。地元のサークルにも所属し、仮説の大会を中心に、いろんな大会に参加していました。地元の会の運営のお手伝いをしたり、会の講師をしたこともあります。
 たのしい授業を目指し、授業を大切にしてきました。それなりに子どもたちに人気もあり、学級もそこそこの雰囲気でした。
しかし、年齢を重ねるうちに、なんだか、限界を感じるようになってきました。たしかに楽しい授業はできる。しかし、子供たちにしまりがない。4月最初は、張り切っているが、学期が進むに連れ、意見もだんだん出なくなる。今から考えるとぬるま湯のような雰囲気のクラスを作り上げていたように思います。

学級崩壊のこと
  今から7年前。39歳の時です。学級崩壊に遭遇しました。まさか自分がそうなるとは、思っても見ませんでした。
「うちの小学校の看板を背負ってくれ」
大好きな校長に言われて任された6年生でした。この子たちは、3年生の時一度受け持っていて、とてもいい雰囲気で終わりました。また、前年は内地留学で一年間、カウンセリングも勉強していました。
  張り切っていました。自信もありました。楽しい授業を展開し、全力で挑みました。

   しかし、なんだか変なのです。一人の女子とうまくかみ合いません。クラスのボス的存在でした。最初は一人だったのですが、だんだんとそれが2人、3人と広がっていきました。
  授業中、女子の発言がなくなりました。
  グループができていきました。僕と目を合わせません。授業中女子同士が目や手で合図をしあうようになりました。
  男子の心も、少しずつ離れていきました。クラスの中にどんどんいやな雰囲気が広がっていきました。あとは、お決まりのコースです。立ち歩きや脱走まではいきませんでしたが、子供達から無視されるようになってしまいました。
子どもたちに拒否される日々。
苦しくて夜も眠れない日々。
自信のあったものが次々と崩されていく日々。
自分自身を責め、悩みぬく毎日。
今思い出しても、本当につらい体験です。

その後の心の動き
 その後、希望を出し、逃げるようにしてその学校から転勤しました。新しい学校は、研究の盛んな学校でした。
  心機一転、がんばろうと思っていました。しかし、なんだか変なのです。体がついていきません。
  まず瞼がぴくぴく痙攣するようになりました。食べ物の味がしなくなりました。まるで砂を食べているようなのです。夜も眠れません。異常を感じ、医者に行きました。
「しばらく休んだ方が良い」という診断をうけました。
 前年の体験。そして新しい環境へ適応しきれなかったことから、心に相当なダメージを受けていたのです。
 病休になりました。

 長い時間の中で底の底まで落ちました。ゆったりとした時間の中でいろんなことを考えました。
挫折。
転職。
いや死さえ本気で覚悟しました。
まさにどん底でした。

  しかし、今死んで、何が残る。何も残していない自分に呆然としました。
  死んだら、何も持って行けないことにも気づきました。
 人は何のために生きるのだろうかということを考えました。毎日毎日考えました。
  そして長い時間の中で、次のような考えにいきつきました。

人が生きる意味は、自分のために物や財産をためることではなく、何らかの形で、世の中の一員として、役に立つことなのかもしれない。

  そこから、一度死んだ気でやってみようと思いました。本気で死まで覚悟した自分です。
  いつ死んでも悔いのないように生きていこう。世の中のお役に一つでも立てるような生き方を、一日一日とつみかさねていこう。そう決心して、今日まで生きてきました。

  病休の体験は僕の生き方を変えました。相田みつをさんの詩にこんなのがあります。

わたしは無駄にこの世に生れてきたのではない
また人間として生れてきたからには無駄にこの世を過ごしたくはない
私がこの世に生れてきたのは
私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ
それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない
その仕事が何であるかを見つけ
そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに
人間として生れてきた意義と生きてゆくよろこびがあるのだ

 私でなければできない仕事とは、何か?それは教師です。それで自分にできることは、何か?それは、これから子供たちがしあわせに生きられるようお手伝いをすること。いつしかそんなふうに、自分の仕事に対する意識が変わっていきました。

教育の鉄人倶楽部に出会ったきっかけ
①「教育の鉄人」との出会い
  病休後、ふとしたことから、森信三の『修身教授録』という本と出会いました。本当にすばらしい本です。この本は僕の教師としての生き方の根本を作ってくれました。
  森信三先生のことをもっと知りたい。そういう思いで、インターネットの検索をかけ、毎日追いかけていました。そこで、杉渕先生の「教育の鉄人」のサイトと出会ったのです。
  サイトを読んで、まずその内容に衝撃を受けました。自分が森信三先生から学び、普段思っていたことが、説得力のある文章で綴られていたからです。一人で「うんうん」と頷きながら、その文章を追いかけました。
  またその分量にも驚きました。4つのサイトからなり、いつまで読んでも終わりのない海原のように思えました。
「これは、ものすごいものと出会ったぞ」
その時、直感的に思いました。さっそくメルマガも申し込み、毎日のように届く文章をむさぼるように読みました。

②杉渕学級参観へ
  しばらくするうちに、無性に杉渕学級を見てみたいと思うようになりました。今まで、正直言ってすごいクラスというものを見たことがありません。しかし、杉渕学級は何かが違う。あの有名な櫻井よしこさんも、著書『教育は未来を開く』の中で、授業を参観され、大絶賛されています。
  そこで、校長先生に相談してみました。その時の校長先生は、厳しいですが、やる氣のある人には、どんどん応援してくださる方でした。校長先生の方で、杉渕先生の学校の校長先生とじかに連絡を取り、とんとんと事が進み、実現の運びとなりました。(この杉
渕先生には、連絡がいってなかったようで、多大なご迷惑をおかけしてしまいました。深くお詫びします。)

③杉渕学級を参観して
  朝から、帰りの会まで、ずっと見させていただきました。
衝撃でした。こんなすごいクラスを見たのは、生まれてはじめてでした。6年生の子供たちでした。
  ここまで計算ができるようになるのか、こんなに美しい音読ができるのか!こんなにたくさん発言ができるようになるのか。
  授業を見ていると、だんだん体が熱くなっていく自分がいました。子供たちの音読を聞いていて、なんど涙が出そうになったことでしょう。
  透き通ったきれいな声、張りのある声。優しい声。クラス全体に響くいろんな声。まるでコンサートを聴いているようでした。
  みんな健気で一生懸命取り組んでいます。背筋を伸ばし、ぴんと張り詰めた空気、しかし、いつまでもそこにいたくなるような心地よい緊張感。そこは、教室というより、まるでお互い高めあい、心を鍛えていく道場のようでした。

④杉渕鉄良先生について
  杉渕先生はまるで武道の達人のような風格がありました。まさにひとつの道を追求する鉄人でした。剣道、柔道、武士道と同じように「教育」という「道」を追求している実践家でした。
  授業をされている杉渕先生は、口数が少なく、しかし的確な指示をされ、少しの無駄もすきもない指導をされていました。先生の指示を受けた子供たちはすごいスピードてきぱきと集中し、学習を追及していきます。身のこなし方、板書の文字、指示の仕方など、ま
さに教育の鉄人でした。

⑤さまざまな授業、濃い一時間
  さまざまな授業を見せていただきました。子供たちは1時間の授業の中で、テンポよくすごいスピードで、いろんなパターンの学習をしています。ユニット授業と呼んでいるそうです。
短い時間にたくさんの種類の学習を行い、それを長い期間継続することで、力をつけていくといった指導でした。
さまざまな技術や方法で、子供たちに力をつけています。本当に子供たちにとって、密度の濃い一時間一時間でした。これらを繰り返せば、力がついていくはずだと思いました。

⑥積み重ねの結果
 子供たちはすばらしい子供たちでした。すばらしい計算力を持っていました。すばらしい音読をし、集中し、まわりに気を配ることのできる子供たちでした。また、明るい表情で、謙虚な子供たちでした。
 一日にして成ったのではなく、長い期間かけて積み重ねてきた結果だと思いました。杉渕先生が、4年生から持ち上がり、育て上げた子供たちです。毎日少しずつ、それこそ、薄紙一枚一枚重ねていくような実践の結果だと思いました。
 しかし、教師の願いと気持ちを込めた一瞬一瞬の指導の結果でもあると思いました。たくさんの積み重ねが結果となって表れていたのでした。
 これが2005年5月のことです。

 その後、この年は杉渕先生を追いかける一年でした。杉渕先生の学校には3回行きました。
 鉄人倶楽部は、杉渕先生のメールマガジンで知り、その年の夏と翌年の春の2回参加しました。

⑦教育の鉄人倶楽部でのご縁…中井先生との出会い
 教育の鉄人倶楽部は僕に、すばらしいご縁をもたらしました。中井先生との出会いです。
 中井先生との出会いも衝撃でした。
 ビデオを見せていただきました。合唱をする四年生の子供達でしたが、とにかく子供達がすごい。公立小学校の普通の子供達です。しかし、すばらしい合唱でした。美しい声だけでなく、大きく開いた口。目や顔、体全体で一生懸命表現している子供達を見ていると、胸が熱くなりました。
 このときのご縁がきっかけで、中井学級へも訪問させていただきました。
 教室での子供達は、ビデオの何十倍もすごい子供達でした。やはり生はすごい。教室がコンサートホールのようでした。歌や音読を聴いて、涙が出ました。
 教育の鉄人倶楽部で、このようなご縁を持たせていただくことができ、本当に感謝しております。お世話していただいた森實先生をはじめスタッフの皆様、本当にありがとうございました。

どのような活動を実践したか
 その後、自分がやってきた事をキーワードで表すと次の2つのようになります。
「目標」「継続」
 このキーワードに沿って書いてみます。

①「目標」
 実際の授業を見て衝撃を受けた自分は、「少しでも近づきたい。そんな授業が出来る自分になりたい」という強い思いを持ちました。そして、その授業を目標としました。
 すばらしいクラスを見るというのは、良い体験だと思います。明確でリアルな目標が形となって見えるからです。しかし、感動だけして終わりと言うことが多いと思います。それを防ぐため、次のような修行をしました。

 訪問の際、ビデオをずっと撮っていました。自宅に帰り、そのビデオを何度も何度も繰り返し見ました。そして授業の中で自分の真似できそうな技をピックアップしたのです。
 僕の場合は、ビデオから技ごとにチャプター分けしたDVDを作りました。DVDの編集作業というのは、とにかく膨大な時間がかかります。編集の際、何度も何度も繰り返し映像を見る必要があるからです。しかし、それが、良い教師修行となりました。
 普通、ビデオにとっても、一度見たらおしまいということが多いと思います。しかしDVDを作るという目的があることで、繰り返し見るということが自然と行われます。そして最後にはDVDという一つのものが形となってできあがります。これが、たくさんのメリットを
もたらしました。

 まず、気軽に見たい部分を繰り返して見ることができます。これで、常に自分の目標を確認できます。子供達に見せることで、子どもたちにとっての目標設定にも使えます。実際に子供達には合唱や音読の様子を何度も見せました。子供達も「こんなふうになりたい」という強い思いを持ったようです。
 更に、出来上がる度に、杉渕先生や中井先生にお送りしました。自分の役に立つだけでなく、授業を見せていただいた先生にも喜んでもらえると思うと、張り合いがあります。
 若い方々は、パソコンに抵抗のない方が多いと思います。この修行法は、超お勧めだと思います。
子供達の教育でもいえることですが、めあて(目標)をもつことは大切だと思います。
 常に明確でリアルな目標を持つこと。これが大切だと思います。
目標があるなしで、同じ作業が苦にもなったり、張り合いのあるものになったりします。
 後で書きますが、子どもたちに対しても、僕は、夢のある目標を持たせることを大切にしています。

②「継続」
 あとは、目標に向かってひたすら継続です。最初は自分にできそうなことから始めました。一つまた一つと少しずつ増やしていきました。
 いろいろとやったのですが、思いつくまま箇条書きで書いてみます。
・あいさつ
・10マス計算
・漢字リピート
・速攻辞書引き
・きれいな声を意識した詩の暗唱
・他の教科でもすべて音読
・五色百人一首
・ユニット授業(国、算、体など)
・インディアンの発声
・合唱指導
・指名なし発言
・無言清掃(心を鍛えるというめあてを持って)
・おおなわ
 書き出すときりがありませんが、以上は、ほぼ毎日継続してやってきた指導です。

③個性とは 
 最初はとにかく、ビデオを参考にひたすら真似をしました。杉渕先生のようなテンポを意識しました。中井先生のようにタクト(百円ショップの菜ばし)を持ち、変化と繰り返しを意識し授業しました。そして、毎日継続しました。
 しかし、どうしても杉渕先生や中井先生のように出来ない自分に気づく時がありました。
いくらやってもその通りにはできません。しかし、自分流にそれなりにやれています。そしてそれが自分の「個性」なんだと気づきました。
 スポーツでも芸ごとでも何でもそうですが、まず、人の真似をすること。これが、上達の早道だと思います。そして継続する事で、自然と自分流のものができてしまうのだと思います。

④「目標」を意識した「継続」
 さて、継続する際に僕が意識していたことがあります。それは、目標です。
 最終的には、子供達が幸せに生きていけるように。大きくなってもたくましく世の中を乗り越えていけるような自信と意欲を育てていきたい。そんな大きな目標を常に持っていました。そしてそのための実践や方法だと意識していました。
 教育の世界には、山ほどいろいろな実践や方法がありますが、現実の子供達を見て、その時その時で、必要であろうと思う方法を選ぶよう努めました。

 また、子供達にも常に目標を意識させました。これは、何のためにやっているのか、どんな力をつけるためにやっているのか、その意味を常に語りながら、継続していきました。

 目標を意識させる事で、さまざまなことが教育となりうることにも気づきました。たとえば、掃除の時間、給食準備の時間すらも、目標を意識する事で、子どもを育てるすばらしい教育の時間となりました。

 いろんな行事も目標にして、取り組ませていきました。例えば、1学期の授業参観では、「お家の人に、四年生になった自分の成長を伝えよう」という目標を持ち、音読発表会をしたり、老人ホームのお年寄りとの交流では、「お年寄りに、合唱を聞いてもらい、元気と
感動を伝えよう」という目標を設定し、取り組ませました。すると毎日継続していることが、夢へとつながっていきます。
 目標は夢です。熱く夢を語り、夢を共にし、実現した時の達成感を一緒に味わってきました。
 このように、常に目標を意識し、大きな目標に向かって様々な方法を継続し進むことで、それらが絡み合い、大きな流れができていきました。クラスの中に上向きの良循環が生まれていきました。それを創り出すことが教師の役割かなとそんなことを最近思います。
「目標」と「継続」この二つが今までの僕のキーワードです。

結果
 最初、子供達は本当に何もかも超スローでした。見てきたばかりの杉渕学級との大きな違いに唖然としました。しかし、そこからスタートしました。
 ひたすら毎日継続していきました。すると、少しずつですが、進歩していきました。しかし、薄紙を一枚一枚重ねるような進歩です。同じ事を繰り返していくので、確実に伸びていきました。
 ある日、一人一人の中で突然変化する瞬間がやってきました。たとえば10マスで。大なわで。インディアンの発声で。さながら、さなぎが蝶に変身する様な瞬間がやってきたのです。その瞬間を見ることが大きな喜びでした。
 自分自身も、最初はユニット授業の形式に体がついていきませんでした。しかし、一つ、また一つと少しずつ増やしていくうちに、少しずつ密度のこい授業ができるようになってきました。

 3ヶ月もすると、子供達は大きく変貌していたようです。たまたま授業を見てもらう機会があったのですが、このとき見た先生は、
「こんなすごい4年生は、初めて見た。」
と感想を言ってくれました。
 昨年11月には、研究発表でたくさんの先生方が、我がクラスを参観しました。どの先生も、「子供達がすごい」と大変ほめてくださいました。かつての自分には考えられない事でした。
 そして今年。ビデオで見ていただいた通りの子供達です。合宿の際、杉渕先生と中井先生にビデオで見ていただきました。毎日見ている自分にはわからなかったのですが、お二人とも評価してくださり、「あ~、本当に伸びたんだな」とうれしく思っています。

今後の課題
①変化への適応
最も強いものが生き残るのではない。
最も賢いものが残るのでもない。
唯一、生き残るのは変化するものである。
 ダーウィンの名言です。これは生物の世界だけでなく、教育の世界でもあてはまること
ではないかと思います。
 今、子供達や親、それをとりまく社会全体が、大きく変わってきています。それに伴い、教育の世界も劇的に変化しています。僕が学級崩壊を体験したのも、その変化に適応できなかったからだと思います。いつの間にか、自分はこれでよいという気持ちになっていたのでしょう。
 杉渕先生のすごい所は、新しいものをどんどん取り入れ、見る度に変化している点です。

 僕は今までは、「目標」と「継続」を意識してやってきました。しかし、変化に適応できないものは、自然淘汰されていきます。今後もまた、自分自身、いつ学級崩壊に遭遇するかもしれないという危機感を今も持っています。それは、自分自身が硬直化したとき。変化に対応できなかった時。
 では、変化に適応するためには、どうしたらよいのでしょうか。その答が、今回の合宿にありました。
 現実の子供からスタートする。まず子供を認めること。子供のよさを発見し、子供を見て実践を組み立てること。そう子供を見ることが大切なんですね。
 しかし、なかなかその良さというのは、見えにくいものです。その解決法が、ライダーシンさんの最後の話の中にありました。

まず自分のよさを発見し、自分とうまく付き合えるようになること。これが基本の部分。自分が自分の一番の親友になること。これができて初めて、いろんな人のよさもみつかるし、素敵なところも発見できる。

 ぐっと来ました。そう、今までの自分は常に自己否定で生きてきたような気がします。自分自身を認められない者が、どうして人の良さを認めていけるでしょう。
 これからは、まず自分が自分の一番の親友になり、自分の良さを認めていきたいと思っています。

②「関わり」をキーワードに
 自分はもともと不器用な人間です。ここまで来られたのも、杉渕先生や中井先生との出会いがあってのことと思っています。また、この出会いをお世話してくださった森實先生をはじめスタッフの皆さんのおかげです。心より感謝いたします。
 また、僕のベースの部分はやはり仮説実験授業が創り上げてくれたような気がします。これらのベースがあって、今の自分があります。仮説で出会った大切な人々の存在があります。またさかのぼって考えれば、学生時代の人との出会い。父や母の影響。ご先祖様…
 こんなふうに考えると、今まで出会ったすべての人々の縁というものを感じずにはいられません。いろんな人との出会いがあって、今の自分があるのです。そういう点で、例えば鉄人倶楽部のような場所で、いろんな人と出会う事の大切さを感じます。

 崩壊以来、「目標」と「継続」をキーワードにして、生きてきました。これからは、自分との「関わり」、人との「関わり」。つまり「関わり」という言葉もキーワードの一つに加えていきたいと思っています。
 僕の苦手な部分です。とても不器用です。しかしまず自分の良さを認めることから、スタートします。薄紙を一枚一枚重ねるように内から外へと少しずつ広げて行きます。

おわりに
 長い長い道のりでした。学級崩壊以来歩んで来た道のりを語ることが、誰かのお役に立つのではないかという思いで、ここまで書いてみました。不器用な僕でも、ここまで来れたという事実。この事実で、若い人たちに勇気を与えられれば。中年の人に、まだまだ成長できるということを知ってもらえれば。そんな思いでいます。人生、これからです。
 まだまだ語りたい事は山ほどありますが、これで終わりにします。これからも一日一日を大切にし、変化し、進化を重ね、精一杯生きていきたいと思います。今までお世話になった方々に感謝の気持ちを込め、終わります。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

ご感想があれば、書き込んで下さるとうれしいです。また、たくさんの人に読んで頂きたいので、下の文字をクリックして頂けるとうれしいです。

にほんブログ村 育ブログ
出会えたことに感謝します。ありがとうございます。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。