幸せのお日様 [言葉は言霊]
今日は、僕が小学生だった頃、父によく連れていってもらった食堂へ、家族で行きました。何かあるごとに連れていってもらいました。
あれから30年以上経つというのに、今だに当時の面影を残し、営業しています。中へ入ると懐かしさが込み上げて来ました。今は僕が父となり、家族を連れて来ているのです。
当時と同じようにお座敷に座りました。お日様がぽかぽかと差し込む暖かい場所でした。今は建物が邪魔して見えませんが、昔は白山と潟が見えました。
ここへ来ると食べるものは決まっていました。
卵丼とうどんです。大好きでした。
今日も同じメニューを注文してみました。
食べてみると、味は当時のままです。砂糖醤油の甘い味付け。子供が好みそうな味です。
一口食べるごとに、その当時のことがよみがえって来ました。ここに父が座り、母がいて、弟が隣に・・・懐かしさとおいしさで心が暖かくなりました。
妻や息子が食べている様子を見ていると、心がさらに暖かくなります。父も多分そんな気持ちで僕たちのことを見ていたのでしょう。
この当時、父はブルドーザーの運転手をしていました。若い頃、お金で苦労した父。現金収入が最も得られる仕事として選んだのでしょう。お金にもゆとりができ、自家用車を持ち、遠いこの食堂まで、よく連れていってくれました。
暖かいお日様と思い出の味で、幸せな気持ちになりました。
父も今の僕のように幸せのお日様を浴びていたのでしょう。
最後に、この当時の父の詩を掲載します。
運転手
キャタピラに片足を掛けて
大きな反動をつけてよじのぼるのがくせであった
霜が眩しかった
運転台が高すぎた
動くまでは冷たい巨大なただの鉄だった
がエンジンがかかると男は血の色を取り戻した
鉄が力になった
徳川時代
一揆があった
莚旗が流れて
鎌や鍬がぎらぎら束になった
怒涛のような力になった
排土板をさげる
排気音がつんざき機体が地響を立てた
その音は
もろもろの音であった
小気味がよかった
山も谷もなかった
真直ぐに進んだ
古い墓場が崩れ落ちるのが見えた
拓かれたところは見渡すかぎり新しい土であった
そこには血の境界も
力への憤りもなかった
だだっぴろい涙の出るような平原であった
男はまるでここが見慣れたふるさとの風景でもあるかのように
無性に口笛が吹きたかった
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〈幸せに向けての記録〉
1.小魚・海草を食べる・・・○
2.50回以上かむ・・・○
3.間食をしない・・・×
4.ストレッチをする・・・○
5.父を見舞いにいく・・・○ 以上の項目を断固として実行する
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