うれしい記事を目にしました [幸せに生きる]
うれしい記事を目にしました。
この4人のうちの3人をかつて担任で受け持ちました。3年生、4年生と受け持ちました。男の子は、持ち上がりでした。今が成人ですので、もう十年前になります。
あの当時、ぼくは、みんなと同じように接しました。みんなと同じようにさせました。それだけの心の強さがあると思ったからです。その方が、今後の人生によいと思ったからです。
お家の方も、どんどん挑戦させる方でした。
ある年の童謡コンテストでは、男の子が金賞を受賞していました。合唱団の子どもたちを出場させたとき、パンフレットで、彼の名前を見つけたときのうれしかったこと。
ある年には、白山で出会いました。ビックリしました。よくあそこまで登ったものです。
一緒に撮った記念写真、今だに大切にとってあります。
4人のお子さんを育てるのに、御両親はどれだけ大変だったことでしょう。でも、ぼくが目にするお二人は、いつも笑顔でした。
4人の子どもたちも、いつも笑顔でした。
早いもので、もう成人。
いろいろと大変なこともあったことでしょう。
でも記事の写真の中で見せる笑顔は、昔と変わりませんでした。
本当におめでとう。目にして熱い思いがこみ上げてきました。
そして僕も笑顔で顔晴ります。
打ち込めるものが見つかったしあわせ [幸せに生きる]
昨日、大きな学びがありました。今日は、その整理の一日でした。
昨日の音声を何度も聞きました。
大切なことを記録して残しました。
学んだことを、楽譜にきれいに記入しました。
学びっぱなしではなく、記録して残す。そしてそれを実践してみる。
するとそれが自分に合うものがどうかがわかります。
合唱指導では、そういうことができるので、おもしろいです。
今まで繰り返しやってきたことです。
たくさんの繰り返しの中で、自分の中に残るものがあります。
勘みたいなものが何かしらできていきます。
それが、指導するとき、自然に出てきたとき、うれしくなります。
学び→記録→実践
そういう繰り返しが、自分を成長させてくれているように思います。
合唱は奥が深く、学んでも学んでもきりがありません。だからおもしろいです。
合唱という打ち込めるものがみつかってうれしいです。
打ち込めるものが見つかったとき、人はいつまでも若く、そして成長していけるものだと信じています。
しあわせに生きていけるような指導をしていきたい [幸せに生きる]
今日は、大きな学びの一日でした。
子どもたちを育てるには、何が大切なのかということを考えさせられた一日でした。
まず、適切な指導が大切です。
しかし、ある意味、子どもたちを突き放すような指導も大切だと感じました。
その両者が微妙なバランスで必要だと感じました。
指導ばかりでは、それに頼ってしまう子になってしまいます。
突き放してばかりでも、よりよく伸びていかないような気がします。
畑の野菜を育てるとき、水をやりすぎるのは、よくない。また、ある期間、水をあえてやらない方が、よく育つ、ということを聞いたことがあります。
指導と水はよく似たものなのかもしれません。渇きがあるから、よく吸収する。そしてそれが血となり、肉となり、たくましく育つのです。
子どもたちも、やがて世の中へ出て、生きていきます。そういうことを見通しての指導が必要だなあと感じました。
みんながしあわせに生きていけるような指導の仕方をしていきたいなあと思いました。
うれしい書初めの会でした [その他]
今日は、三学期始業式。そして書初めの会がありました。
新年初日の書初めの会は、本当にいいものです。どの教室も、シーンとした静寂に包まれ、書写に集中していました。
午後は、3,4年生の書写の審査をしました。学年が上がるごとに、上手になっていきました。
見ただけで、練習した字かどうかがわかりました。
そして、もう一つわかったことがあります。それは、習字を習っている子かどうかです。「この子は習字を習っているでしょ?」って担任の先生に聞くと、「そうです」って答えが返ってくるのです。筆さばきからなんとなくわかりました。
中学年の審査もおわり、5,6年生の書写を見て回りました。
さらに上手になっていました。更に、ここでも習字を習っているかどうかが、より顕著にわかるようになりました。
中には、う~~んとうなるようなすばらしい字もありました。大人でもかけないだろうなあと思う立派な作品がいくつもありました。その中には、合唱団の子たちの作品もあります。その子たちは、合唱団と同時に、何年も習字を習っています。両立は大変だったでしょう。努力家たちです。そんな子達の作品に、しばらく見とれてしまいました。
そして思いました。習字と合唱は、よく似ているなあって。
それは、どちらも技術と練習量と模倣がものをいうというんだろうなあってことです。たしかに才能もあるでしょう。しかしある技術を教えてもらい、よきお手本を目にし、耳にし、模倣し、長年の積み重ねがあれば、信じられないような力がつくというところです。年数を経るごとに習っている子と習っていない子の差が歴然とわかるようになります。
合唱団の6年生の習字の作品を見ながら、そんなことを思いました。
彼女たち、歌声もすばらしくなりました。うれしい書初めの会でした。
冬練最後の日。新たな大きな課題が見えました [合唱]
合唱団アンサンブルチームの冬練、最後の日が終わりました。
今日は、冬休み、最後の練習日ということで、締まったいい練習ができました。
連日、前校長先生に来ていただいています。
今日も、今の段階での大きな問題点を指導していただきました。
それは、縦のラインがそろっていないというところ。
前にも書きましたが、横のメロディラインだけでなく、三部なら三部の出だしや、終わりなど、縦のラインもそろえていく必要があるのです。そのためには、楽譜の研究が必要です。今朝、楽譜のffの部分や、ppの部分などをマーカーで印をつけていきました。すると、僕も曲の構造が少しずつ見えてきました。
合唱はある意味、数学的です。楽譜は、長さや高さが詳しく書かれた設計図です。合唱はその設計図を元に家を建てるのに似ています。柱の長さや横木の長さをきちんとそろえていかないと、ゆがんだ家になってしまいます。
また、少しずつ、形になってきました。
そう思っていたところ、大きな問題点が。
毎回、練習の最後には、学校の先生を一人お呼びして、歌を聞いてもらっています。
今日は、合唱経験のある先生に聞いてもらいました。
その先生から言われたことが実に的を得たアドバイスだったのです。
「学生時代、出だしを、すごく練習しました。出だしで、ゾクゾクとなるようになったら、いいと思います。」
前々から気になっていました。出だしが貧弱だということです。
今の歌の出だしはPからスタートします。しかし、Pは弱くというような意味ではないのです。Pだからこそ、心に響くスタートが必要なのです。つまり響きが足りないのです。
また、弱いスタートだと、その後に続くfやffも貧弱なものになります。出だしで家のサイズが決まります。出だしが弱いと、貧弱で小さくまとまった歌になってしまうということです。
大きな課題が見えました。
やはり「声」です。
やることは、山ほどあります。しかし、基本「声」(しっかりした音程で響きのある声)を作っていく必要があるなあと今日は改めて思いました。
大きな課題が見えた点、収穫のある日でした。
冬練最後の日。新たな大きな課題が見えました。
こういう経験が、自分や子どもたちを育ててくれるのでしょう。ありがたいです。