てんつくマンの映画!予告編 [幸せに生きる]
昨日紹介したてんつくマンの映画の予告編がありましたので、紹介します。
短いながらも、熱い思いが伝わってきます。
もしよければご覧下さい。
「自分の力をあなどるな!ならば奇跡は起きる奇跡は連鎖する」
僕も新たな挑戦を始めます!!
泣きました!「107+1~天国はつくるもの~」part1とpart2 [幸せに生きる]
今日は、いつか見たい!見たい!と思っていた憧れの映画を2本見ました。
てんつくマンの作った映画。
「107+1~天国はつくるもの~」part1とpart2です。
てんつくマンという人は・・・
本名、軌保 博光(のりやす ひろみつ 1968年2月2日 - )は、日本の映画監督・路上詩人、元お笑い芸人。2002年、てんつくマンと改名。
とにかくびっくりするような夢を描き、どんどん実現してしまった人です。
この映画も、とにかく作りたい!!と夢を描き、資金も何もないところからスタートし、作ってしまった映画です。
見たい!見たい!と思っていながら見るチャンスがなく、とうとう今日見ることができたのです。それもpart2まで。二本も・・・
感動でした。
久々に映画を見て泣きました。
すべてはやるか やらないか あきらめるか あきらめないか
天国をつくろうとしたド素人たちの真実の物語(ドキュメンタリー)。
死んでから天国にいって幸せになってもしょうがない。
生きている現在(いま)を天国にしてしまおう!(WEBテンツクより)
場所は、加賀市文化会館。
てんつくマン107+1~天国はつくるのもの~上映会
ロックバンド「おかん」ライブというイベントでした。
Part1では、3つの夢を実現しようとテンツクマンを中心とした若者たちの挑戦のドキュメンタリーでした。
特に印象に残ったのは、沖縄から本土・鹿児島まで900キロの海を、自分たちの力で渡りたい。若者たちはそんな夢を描きます。しかし、海のこと、船のこと、自然の脅威、何も知らない素人ばかりです。
はじめは、無謀だ!!死ぬぞ!やめろ!と言われていました。彼らは夢をあきらめません。船を見つけたり。トレーニングをしたり。少しずつですが出来ることを続けていきます。情熱でいっぱいです。
すると協力者がどんどん現れます。船の修理の職人。海の冒険に詳しい人。先導してくれる漁師さんなど。たくさんの応援団が現れます。彼らの情熱と行動で少しずつその困難の壁は取り払われていきます。そして様々な困難を乗り越え、沖縄から鹿児島まで、手漕ぎの船で渡りきってしまうのです。
すべてはやるか、やらないか。
僕の合唱団活動と重なりました。まったくのド素人ではじめた合唱。大きな夢と情熱だけはありました。続けるうちに応援してくださる方が次々と現れました。そして、今度の30日には、全国レベルの合唱団と肩を並べて歌います。
この映画は再び、僕の心に火をつけてくれました。
Part2も、負けずに良かったです。
これもたくさんの人が夢に挑戦しました。特に癌の末期患者や脳性まひの人、いろんな障害を持った方がホノルルマラソンに挑戦するドキュメンタリー。良かったです。
無謀だと言われていた彼らが次々とゴールします。奇跡が次々と起きていきます。ゴールして、一人一人が号泣する場面。僕も泣きました。マラソンのゴール。僕も号泣した経験があります。その時を思い出し、涙が止まりませんでした。彼らの気持ちが、本当によくわかりました。
夢を持つことで、余命何年と言われていた人が完治してしまった奇跡。夢って大切だって思いました。ワクワクする楽しい夢。
この映画で特に印象に残った言葉があります。(正確ではありませんが・・・)
がんばるって思うとできないけど、楽しもうと思うとできる。
一人ではできないけど、みんながいるからできた
自分の力をあなどるな!ならば奇跡は起きる奇跡は連鎖する
合唱団と重なります。
今年度、僕は指導の方針を変えました。
まさに上のような考え方に。
楽しみたいのです。楽しんで夢を見たい!つらさに耐えてがんばるんじゃなく、楽しみたい!。
だってせっかく生きてるんですから。
合唱は楽しむためにある。
人生は楽しむためにある。
この2本の映画は僕たちを応援してくれるようでした。
生きている現在(いま)を天国にしてしまおう!
そうなんです。生きている現在が大切なのです。合唱団の日々の練習も楽しい天国にして、積み重ねていく。
楽しくないことも、知恵と工夫で楽しくしてしまおう。
ごみ拾いを楽しいイベントにしてしまったてんつくマンのように。
僕たちも僕たちの持ち場で、天国をつくっていきます!!
PS.関係者のみなさん、ありがとうございました。この日の収益は東北の義援金になるとのこと。僕も僕の持ち場で何かやりたい!そんな気持ちになりました。
運動やトレーニング!習慣化成功への道 [幸せに生きる]
運動やトレーニング。
ダイエットや健康維持のためにやりたい!!毎日継続したい!!
いいとわかっていても習慣化は難しいものです。僕もそうでした。しかし、ここ10年。いくつかのことを習慣化させることに成功しています。
習慣化させる一つの方法として、日課の一部に組み込んでしまうということがあります。
最近習慣化に成功しつつあるものがあります。
自転車です。
トライアスロンの大会に出ようと思っています。しかしなかなか自転車のトレーニングの時間がとれません。
そこで、自転車通勤をすることを日課に組み込みました。雨が降ろうが、雨具を着て通勤します。とにかく自転車を使うと決めたのです。
すると、毎日確実に 自転車に乗ることになります。往復約40分ですが、確実に自転車のトレーニングが組み入れられます。
途中ラッキーなことに峠があります。そこを一心不乱にこぎ登ります。とてもいいトレーニングになります。
最近朝寝坊したり、仕事が込んでいたりして、朝のランニングができない時もあります。
そんな時は、帰り道を少し遠回りして、自転車をこぎます。峠を2つばかり越えたトレーニング。すると朝走れなかった分を自転車でカバーできます。
自転車通勤をすることで、毎日確実に40分のトレーニング時間が確保できます。
気分転換になります。流れるような景色。風景の移ろい。楽しいものです。
おまけにエコです。長い目で見ると東北の支援につながっています?
トライアスロンへの準備にもなり、健康にもいい。
こんなふうに、自分にとってのメリットがたくさんあることにも注目します。
日課の一部に組み込むこと。
たくさんのメリットに注目すること。
この二つが僕にとっても習慣化成功への方法です。
でも、それ自体が自分にとってワクワクするものという大前提がもっと大切なのかもしれません。自転車。大大大好きです。
ワクワクすることがあるとすると、それは習慣化への大応援団になってくれますよ。
ps.通勤の友は、愛車エンペラー。この自転車も僕をワクワクさせてくれる応援団です。
特学の授業参観 [授業]
今日は授業参観日でした。
特学の授業参観。
「どんなふうになるんだろう?」と思っていたのですが、とってもなごやかで笑いのある授業参観でした。
「かんげい会」という生活単元で、一年生と僕を歓迎する会をしてくれました。
ちなみに下のようなプログラムです。
かんげい会
はじめのあいさつ
うた(春がきた)
じこしょうかい
ゲーム(しんぶんじゃんけん)
おやつタイム
プレゼント
きねんさつえい
おわりのあいさつ
うたは、僕が指導した「春がきた」を歌いました。
なかなかいい声の子が何人もいます。一年間続けることですごい歌声になる予感?があります。
ゲームの新聞ジャンケンも楽しいものでした。
親子が一枚の新聞の上に乗ります。
僕対子供達でジャンケンします。
負けた親子は新聞紙を半分に折り、その上に乗ります。
またジャンケンをします。
繰り返します。
負けると新聞紙がだんだん小さくなっていきます。、お母さんが抱っこしたりおんぶしたりしなくてはいけません。
にぎやかな親子の笑い声が響きます。
おやつタイムでは、午前中買いにいったおまんじゅうや和菓子をみんなで食べました。
初めての授業参観というと、今までは子供の育ちが見られるとき、教師が評価されるとき。緊張感に満ちた一日となります。
しかし今日は、和やかで楽しい授業参観でした。
特学の世界に来ると、教育ってなんだろう?って思ってしまいます。
学力を伸ばすことも大切です。
しかし、もっと大切なものがあるような気がしてきます。
それは、人と人との温かいつながり。心から喜んだり、笑ったり、泣いたりすること。心の根っ子の部分を育てること。うまく言葉に言えないけど、明るく元気に生きていける子を育てることが大切なような気がします。
今年一年は、じっくりと教育の根本。根っ子をみつめる一年になりそうです。
歌で自分を出す [合唱]
合唱団が今年目指していること。それは自分を出すということです。
美しい声やハーモニーも大切ですが、自分の殻を打ち破り、一心不乱に自分の思いを表現して欲しいという気持ちがあります。
多少、音程がずれていても、僕は子供達が自分を出している!そんな歌がすきです。気持ちがずんずんと心の中に入ってくるような歌が聞きたい。
そんな良い表現のできる子もいます。しかし、まだまだ他人事のように歌っている子が多いです。
今日は「自分を出す」ということを目当てにしました。
こんな歌詞があります。
「悔しくって震えるときも、味方がなくて孤独なときも」
僕の体験を話しました。
高校受験を失敗し、悔しくて震えるような体験をしたこと。
知らない間に、仲間はずれになり、泣きたいくらい孤独な体験をしたこと。
そんな体験に近いことはなかったか聞いてみました。
何人かの手があがりました。
みんなの前で偉いと思いました。
そんな体験を想像して、体全体で表現して歌って!と言いました。
いつもは、下半身をしっかりして立たせ、いい姿勢で歌わせるのですが、今日は、どんな姿勢でもかまわない。手とか足とかで動作をつけて歌って!と要求したのです。
わからない子のために、僕は身体の前で両手でグーにし、力強く握りしめて歌いました。
その部分だけを何度もやりました。
やがて気持ちの入ったポーズや表情で歌う子が何人が出てきました。
その子たちを前に出し、その子たちをみながら全員でまた歌いました。
すると、またまたいい表現の子が何人も現れました。
その子たちを前に出し、また歌いました。
だんだん歌に気持ちが入ってきました。いいぞいいぞ。
最後にこう言いました。
「ではポーズはしないで、それを声だけで表現してみて」
明らかに最初に比べ歌声が変わりました。悔しい気持ち、悲しい気持ち、孤独な気持ちが歌声に、表情に出てきました。
今日やったのは、以下のようなことです。
自分を出すというめあて。
そのために動作をつけ自由に歌わせる。
いい子を前に出し、その子の影響を少しずつ全体に広げる。
最後に声だけで表現する。
こんな流れ。
なんだかうまくいったので、書いてみました。
たまたまうまくいったのかも知れません。
しかし、試行錯誤のこんな積み重ねで歌は作られていきます。
歌って、気持ちを伝えるために生まれたものだと思います。僕は子供達自身の気持ちが歌に現れるような歌が聞きたい。子供達の気持ちの合体が、ひとつのうねりのような迫力を生み、歌がまるで映画のようなドラマになる。
美しいハーモニーや声、音程ももちろん大切です。でも、一人一人の子供達の気持ちが見える歌声。合唱にしていきたいです。
合唱って本当に奥が深いです。