食べず嫌い [幸せに生きる]
特学の子って、食べ物の好き嫌いが激しい傾向があるような気がします。
今日の給食でも、シシャモが食べられないって、泣いている女の子がいました。
担任の女の先生は、根気強く食べるように指導していました。
シシャモを分解し、一番おいしい部分をとりわけ、「これだけ食べればいいよ」となりました。
おそるおそる口にした女の子。口の中に入れると、大丈夫だって顔をして食べてしまいました。
「シシャモが食べれたねえ。」と声をかける女の先生。
そんな光景を見ているうちに、僕の子ども時代のことがよみがえりました。
今は何でも食べる僕ですが、子供の時は食べ物の好き嫌いが激しい方でした。食べず嫌いでした。
ある日のことです。母が町から帰ってきて、そっと僕を寝室に呼びます。
母は大事そうに買い物袋を抱えています。
その袋からそっと取り出したのが、黄色い色をした数本のバナナでした。
今でこそ、お値段の優等生、バナナですが、僕の子ども時代は、めったに口にすることのない高級品でした。
当時は叔父や叔母も一緒に住んでいて、我が家は大家族でした。みんなで分けようものなら、あまり食べられません。母はそんなバナナを僕に食べさせたくて、誰もいない寝室にそっと呼んだのです。
母は僕のうれしい顔を期待していたのでしょう。
でも、その時の僕は、黄色い皮につつまれたバナナなんて、食べたことなんてありません。
いらない。と言いました。
でも、母は、「うまいから、食べや。」と言います。
いらない。
母は、自分がおいしそうに一口食べて見せます。
「あ~おいしい。食べや。」
いらない。
そんな繰り返しが続きました。
母は突然、そのバナナを僕の口に押し込んできました。
ビックリしながらも、食べてしまった僕。
泣きながら、こう言ったことを今でも覚えています。
「うま~~い」
僕が4つぐらいの時のことです。
今日の給食指導をみていて、そんなことを甘酸っぱい感情と共に思い出しました。
母は、高いお金を出して、僕にバナナを食べさせたかったのでしょう。
そんな母も、もういません。
年齢を重ねるごとに、僕の食わず嫌いの数は減っていきました。
そして、今では、嫌いなものはほとんどと言ってなくなりました。(お酒はダメですが)
食わず嫌いは、経験しないで嫌いだと決めつけている事です。でも食わず嫌いの数が減っていくと言うことは、自分の許容範囲がだんだん広がっていくことと似ています。
経験して、初めてそのすばらしさがわかるってことってあります。例えば、僕の場合、合唱や走ること、文章を毎日書くことなど。経験するまでは、僕には無理だって決め付けていました。
食わず嫌いが減っていったように、やらず嫌いも減っていきました。
今では、とりあえずなんでもやってみよう!と言う気持ちになりました。
それは考えると、食べず嫌いが多かったおかげかもしれません。やってみて(食べてみて)、初めてその素晴らしさ体験できたことって、何度もあるからです。
泣いていた女の子も、一つ自分を広げました。
食べず嫌いも、そんなにわるいことではないと思います。
自分の世界を広げていくチャンスをいっぱい持っているからです。